関東バス初の低公害車として登場した日野HIMR。 この8000代が最後の3扉車導入事例となった。 D8001「U-HT2MLAH改」 丸山営業所 2007.7.31 (画像提供:ATB MODELS様) ■富士重車体架装の日野HIMR車。1990年代に入り、排出ガスの改善やCO2削減に対する社会的要請が急速に高まってきたが、 排出ガスと燃費向上を図る技術として日野自動車が1991(平成3)年に世界で始めて実用化した、 ディーゼル・電気ハイブリッドシステムが「日野HIMR:ハイエムアール」で、 1991(平成3)年12月に東京都交通局へ1台(D-X516)が試作車として導入された。 そして試作車登場から約3年後の1994(平成6)年11月18日、関東バス初の低公害車としてこの日野HIMRが登録され、 8000代が新たに付番された。 8000代は1994(平成6)年式の8001「U-HT2MLAH改」、 翌1995(平成7)年8月25日に登録の8002「U-HT2MLAH」の計2台のみ導入され、 いずれも日野車配置の実績がある丸山営業所へ配置された。 この8000代であるが富士重工R17系車体17型E(通称7E)を架装していることが最大の特徴で、 富士重ボディの日野HIMRは全国でもこの2台のみという大変希少な存在である。 外観は関東バスが導入を続けていた3扉車となっており、 1991(平成3)年導入の7010代「U-HT2MLAA」7017,7018と外観構成が類似しているが、 前後面と側面には低公害車であることを示す 社紋をモチーフとした独自のステッカー を表示、 そして車体右側(非公式側)中央部の蓄電池箱とそれに伴う独特のルーバー (→写真1), (→写真2) が大きな識別ポイントとなっている。 室内へ目を向けると、 自重が一般車両よりも重いことから定員減らしのための各部に苦心の跡が見られ、 8001では車体右側に並ぶシートは窓際から通路寄りへ大きく寄せられ、 座席と窓間に荷物置場を設けることで立席人数の調整が行われた。 8002については各部納まりの見直しが行われ、 先述の荷物置場は無くなったが各座席のアームレストが通路側へ張り出しているなどやはり異例尽くしで、 特殊仕様である感は否めなかった。 ちなみに8001の定員は61名に対して8002は65名で、 大型車の割には定員が非常に少ない。 近い将来低公害車技術が成熟し、 早晩導入が本格化されることを見越して、 低公害車としても対応可能な富士重ボディ・3扉車の維持を模索して登場させた8000代であったが、 同時期に推し進められたバリアフリー化に伴う低床化に3扉車が対応困難なこともあって、 皮肉なことに1995(平成7)年導入の8002が関東バスが最後に導入した3扉車となってしまった。 D8001は新宿西口のバスロケーションシステム対応の車上子を搭載し、 宿02「新宿西口~丸山営業所」を含めた丸山管内全域に渡り活躍した他、 D8002についても中野駅発着路線を中心に幅広く活躍していたが、 晩年は次第に使用頻度が下がっていった。 D8001は2007(平成19)年10月、 D8002は2008(平成20)年7月に相次いで除籍となり関東バスからは姿を消したが、 D8002はその後岩手県交通に移籍し、 2009(平成21)年より第二の活躍を開始した。 しかし活躍期間はあまり長くなく、 2010(平成22)年12月頃に岩手県交通をも除籍となったと見られ、 遂に現車の姿を確認することはできなくなった。 ■元D8002:岩手県交通移籍後の解説は →元・関東バス車両の追跡調査 のページへ。 形態分類
→8000代の車両配置表はこちら | ||||
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